Connection(ファミリー相関図) 恩田淳平(豊橋FⅠ 7月5~7日)
スタンディング戦法の代名詞だった父親
恩田淳平 36歳 群馬 100期 S級1班
「恩田」と聞いたら往年のファンが思い出すのは豊橋FⅠに出走する「淳平」ではなく、「康司」だろう。淳平の父・康司(40期、引退)は81年千葉開催の日本選手権競輪(競輪ダービー)で準優勝に輝いた。優勝したのは中野浩一。
この時代、もっとも話題だったのはスタンディングという戦法。スタートを取り、一番強い自力自在型の本命選手が来るのを待って入れ、2番手は誰にも譲らない。そして本命選手の仕掛けにピッタリ、マークして流れ込む。典型的なマーク屋の戦法の全盛期だった。康司はその代表的な選手として名を馳せた。
当時は中野の全盛期。前年のオールスター競輪、小倉競輪祭を連続優勝し、ダービーでは特別競輪(今のGⅠ)3連続Vがかかっていた。絶対王者、大本命だった。その中野をマークするのは誰か。それが予想の最大のポイントで、下馬評では「前を取るのは恩田」でほぼ一致。レースでは中野は一旦は抑えられたが、最終バック4番手からマクリを放ち、ゴールは中野、恩田の順。当時はまだ枠連で55のゾロ目決着で2560円。
中野-恩田の並び予想なのに、2560円もついたのは他の選手が恩田を競り落とすのでは、といった予想もあったから。しかし、恩田は一度食らいついたらスッポンにように離さないスタンディング戦法で、してやったりの準V。表彰台に上がることができた。
もっとも、恩田が活躍したのは80年前後の4年間だった。
ジュニアの淳平は脚質は父と同じで追込み、マーク。昨年のGⅠ寛仁親王牌では決勝を走り、4着だった。康司のようにこれといった武器があるわけではないが、マーカーとしての血は受け継いでいるようだ。このシリーズでは関東には強気な積極型の木村皆斗がいる。木村後位は恩田の指定席。優勝のチャンスあり。