競輪つれづれ(あの日の競輪) 伊藤豊明
ゲリラ戦で四国にビッグVをもたらした!
伊藤豊明 68歳 愛媛 41期 引退 競輪解説者
犬伏湧也が20年ぶりに四国に優勝をもたらした8月開催、松山オールスター競輪。四国はつねに中四国括りで取り上げられるが、はっきり言えば、選手層的に劣勢なのが一因だろう。その傾向は今は犬伏や松本貴治、佐々木豪らがいてかつての印象は薄れているが、当時は気の毒な時代だった。
18日から行われる共同通信社杯は88年にスタートした。優勝したのは今も松山競輪の解説などでお馴染みの伊藤豊明。当時のデータを見ると、四国4県でS級1班は9人。富原忠夫という巨漢の徹底先行選手がいるが、他の8人は自在っぽい選手はいてもほぼ追込型だった。これではビッグレースで勝ち上がることは難しいし、勝ち上がっても単騎戦になる。そこでゲリラ戦を仕掛けるしかないことも多かった。
伊藤はまさにゲリラ戦を得意とした選手だった。そうするしか勝利への道はなかったのだから仕方がなかった。
共同通信社杯は元は競輪40周年を記念して一発勝負の「ルビーカップ」として第1回が開催された。全国8地区のトップ選手+1の9人で行われる「チャンピオン杯」と特別競輪(現GⅠ)で優勝したことがある選手による「シニア杯」の二本立てで開催地は平塚競輪場。
「シニア杯」は興行的に好評だったが、ファンの注目はやはり「チャンピオンズ杯」だった。メンバーは
当時のことだからフラワーラインの滝澤-山口、九州の中野-井上のバトルに注目が集まった。だが、他の選手はこれを指をくわえて見ているわけにはいかない。先頭は単騎の松本。続くフラワー滝澤ー山口後位の3番手は単騎勢が取り合い、佐古ー小磯ー竹内になった。7番手以下は中野-井上-伊藤で並んだ。
このレースは滝澤の先行一車。最終的に誰が滝澤後位にいるかが最大のポイント。そのため、残り2周前から中野と山口が先頭の松本を引かせ、両者のイン切り合戦になり、その駆け引きが長引いた。その流れの中、フラワーは滝澤-山口に戻って後退し、中野が虚をつかれた瞬間に伊藤がスーッと前に出た。それが伊藤のゲリラ的な勝負勘だった。
滝澤は打鐘過ぎの2センターで強引にコースをこじ開け、先頭に立つとその後位に伊藤が飛びついた。前から滝澤-伊藤-中野ー井上で、そのままゴール前勝負になり、優勝は伊藤、準優勝は逃げ粘った滝澤、3着中野。当時はまだ3連単どころか2車単もなく、枠番2連勝の時代。8、9番車は6枠で伊藤、滝澤の62はほぼ万車券といっていい9790円。
当時は作家、棋士などの文化人が大勢招待を受けて同部屋で車券を競い合っていた。この大穴車券を取っている人はそんなにいないだろうと思ったら、とんでもない、あちこちで歓声が上がった。さすがに海千山千の勝負師たちだった。もちろん当方もゲット! 終了後は平塚駅前の飲み屋で大祝勝会になったことはいうまでもない。
共同通信社杯はルビーカップとして始まったが、この開催の成功を受け、翌年から共同通信社がスポンサーになり、「共同通信社杯(ルビーカップ)」となった。96年からは一発勝負ではなく4日制のGⅡのグレードレースに。途中で「初一番」「秋本番」として年に2回開催されたこともあるが、12年からは再び年1回開催になって今に至っている。(峯田淳)