競輪つれづれ(あの日の競輪) 菅田順和
ライバル中野浩一相手に地元特別競輪で初V
菅田順和 73歳 宮城 36期 引退
今から43年前、83年にいわき市平競輪場で開催された「第26回オールスター競輪」(9月)は話題満載の歴史に残る大会だった。
「世界のナカノ」の時代でもあり、中野、井上茂徳の九州勢と滝沢正光、山口健治、吉井秀仁、尾崎正彦らの千葉・東京のフラワー軍団が激しくつばぜり合いを演じていた。その中に割って入っていた存在を一人だけあげるなら、宮城の菅田順和だった。
この時の中野浩一はその時ですら前人未到の世界選手権スプリントでV7を達成し、直後の凱旋となる一戦(86年V10達成)。競技の世界でも活躍していた菅田は中野を制してメダルを獲得したことがあったものの、中野は77年からは世界の強豪相手に10連勝を記録し、菅田のライバルではなくなっていた。しかも、菅田は国内でも中野に歯が立たず、特別競輪(現GⅠ)の決勝に15回進出しながらタイトルに手が届かず、やられっぱなし。
そして迎えた地元でのオールスター。菅田は④②①で勝ち上がった。地域的な構成は北日本は菅田と堂田将治、フラワー軍団は滝沢、吉井、尾崎、中部は久保千代志、近畿は西地孝介、四国は伊藤豊明、九州は中野。そして物議を醸したのが並びだった。
前から滝沢の後位に菅田がつけ、尾崎-吉井と4車のライン、西地-伊藤の即席の結束、堂田には中野-久保がつけた。
普通は堂田-菅田の北日本の並びのはずだが、そうならなかったのは理由があった。2年前の小倉競輪祭でのこと。この時は菅田ー荒川秀之助の北勢、尾崎-山口のフラワーに分かれるのが普通なのに、中野-井上の強力なコンビを打破するために、菅田-尾崎-山口-荒川の4車が結束する大同団結が実現した。結果は中野Vだが、このレースで菅田がフラワーに貸しを作ったと言われ、そのお返しで26回大会決勝の並びになった。
レースが動いたのは5周目。堂田が仕掛けたが、滝沢は引かず丸1周併走。打鐘前に滝沢が1車下げて中野と競り、その後位の菅田と久保も競る。そこで最終ホーム手前から西地がかまし気味に上昇したが、久保も西地も後退し、勝負は前方の争いになった。2コーナーで中野が外併走から捲りを放ち、これに菅田がスイッチして追走し、ゴール前では中野と菅田のマッチレースに。ゴールでは菅田が1車身差して1着。2着中野、3着滝沢。2車単1090円の決着だった。菅田はこの勝利で念願の初タイトルを獲得した。
中野VS菅田の因縁のライバル対決は地元の菅田の優勝で幕を閉じた。
平競輪場はこの時が初観戦。ファンの間では何回チャレンジしても勝てない菅田への失望感があった。どうあがいても中野に勝てそうにない。それが2年前の経緯から異例の並びが実現し、16回目のチャレンジで菅田が地元で優勝、無冠を返上するというでき過ぎのストーリーに。当時は特別競輪の決勝ともなると立錐の余地もないほどファンが詰めかけた時代で地元のスターの晴れの舞台にファンが歓喜した。
菅田の特別競輪優勝はこの1回だけ。これが後世に残る、「世界のナカノ」を撃破したライバル物語、昭和の名勝負である。