競輪つれづれ(あの日の競輪) 追悼 諸橋愛
79期でビッグ初制覇だった共同通信社杯決勝が行われた、その日に死去の偶然
諸橋愛 享年49 新潟 79期 S級1班 2026年9月21日死去
全国でガッツマーカーとかファイターと呼べる選手はそう多くはない。そんな中で関東では諸橋愛選手はその筆頭といっていい存在だった。9月12日に行われた向日町記念平安賞in奈良の3日目、S級準決勝で落車に見舞われた。救急搬送をされて治療を受けていたものの、頚髄損傷による多臓器不全のため、21日未明に亡くなった。7月に伏見俊昭が同じく落車による事故で亡くなって、2カ月あまりの出来事だった。
97年、地元の弥彦でデビュー。通算2377戦で435勝。03年からトップランクのS級1班として活躍し、長らくビッグレースの常連だった。8月、松山のGⅠオールスター競輪にも出走し、今年行われたGⅠ4大会に出場した。17年にはS級S班として平塚で開催のKEIRINグランプリも走ったトップレーサーだった。
記憶に残るのはそのGPを走った17年、武雄で開催されたGⅡ共同通信社杯の優勝。
メンバーは1村上義弘2渡邉一成3平原康多4諸橋愛5稲川翔6守澤太志7村上博幸8松谷秀幸9新田祐大
先行したのは2渡邉-9新田-6守澤の北日本勢。これを3平原-4諸橋の関東コンビが捲り、バックで9新田に牽制された3平原がトリッキーにインに切り込んだ。4諸橋は3平原とともにインに潜り込み、3平原が4コーナーで9新田を外に飛ばし、続いた4諸橋が粘る3平原を差してゴールを駆け抜けた。2着平原、3着新田の3連単4ー3ー9は5680円。
諸橋はマーカーとしてはただ前について行くだけの選手ではなく、イレギュラーな動きにも対応できる器用さ、強靭さがあった。その意味でも稀有な存在だった。
この時、不惑の40歳。それでも優勝できたのは引退した福岡の選手、江嶋康光(39期)にアドバイスしてもらったおかげ、3年計画でトレーニングした結果と語った。
この優勝で賞金ラングが7位にランクアップしたことが暮れのGP出場につながった。選手としての夢は「GPに出ること」と語っていただけに、人生最良の1年になった。
意外なのは曲者揃いの79期でビッグ制覇は諸橋が初めてだったこと。79期の憧れの存在でもあった。
それから9年。21日に今年の共同通信社杯は同じ関東の佐々木悠葵の優勝で幕を閉じた。諸橋が亡くなったのは自身がビッグ初Vを実現した、今年の共同通信社杯決勝戦の当日。深い想いを感じざるを得ない中での旅立ちだった。
ご冥福をお祈りします。